お着物を着たいと思ったころから着物関連のエッセイや着付けの本は手に取ってきました。
個人のブログも一時期は読みましたが、最近は特定の方を定期的に読んではいません。
着付け方も動画で簡単に見られるようになりましたが、「個人の経験談」は書籍の方が語りやすいのかもしれません。
今後は動画でも「個人の経験談」が配信されるかもしれませんが、文字で読むだけでも十分に面白いです。
- 30年ぐらい前は群ようこさんや平野恵理子さん
- でも、なぜか手元に残っていない現実があります。
- 興味を持って飛び込めばどこでも「沼」な気がします。
30年ぐらい前は群ようこさんや平野恵理子さん
着物に興味を持った頃に読んだのは、群ようこさんや平野恵理子さんの本でした。
群さんのエッセイは、群さんご本人のお着物のこととお母様も着物にはまった経験談が語られていて、とても面白く読ませていただきました。 お母様のお買い物のお支払が群さんの銀行口座から直接支払われるというピソードがとても面白かった記憶があります。
定かではありませんがお母様は割と頻繁にお着物など和装関連のお品を購入されていたような記憶があります。群さんご本人も同じような印象がありました。
平野恵理子さんの本や林真理子さんの本も読みました。
ただあまり覚えていることがないというのが正直なところです。
印象に残るエピソードが少なかったわけではないと思います。
どちらかと言うと全てが同じぐらい強烈な印象があったので覚えていないのだと思っています。(笑)
でも、なぜか手元に残っていない現実があります。
以前は本は新品を買って読むのが 好きでした。
今は一旦図書館で借りて読みます。
どうしても手元に置きたいという本だけ買うようにしています。
本を置くスペースが無限にあるわけではないので読み返したい本や、もう絶対に手に入らないとわかっている好きな本だけを残すようにしています。
手元に残っていない理由はもう一つ考えられます。
着物に興味を持つ人がとても多くなっていて、次々と手を替え品を替え新しい書籍は発刊されます。
内容は、初めて着物を意識した方がどんなふうに現在に至っているかが多いので、着物に触れている期間の長さの違いはありますが、最初に疑問を持つことや、着付け教室の選び方、買い物の失敗など、読み慣れてきたことを再読しているような気持ちになります。
何年か前までは店舗があったお店が廃業してしまったり閉店してしまったりで、エッセイと一緒に着物のお買い物マップのようなものが付いていても現在では情報が古くなっていることも多いです。
興味を持って飛び込めばどこでも「沼」な気がします。
着物と言うと途端に身構えてしまう人が多いことに驚かされることが多いです。
ピアノやバレエ、その他の習い事と同じように「着られないものをどのように着るか」を習うことだと思うのですが、未だに思い込みが強い部分が多い気がします。
民族衣装なのだから誰かに教えてもらうのはいかがなものかという自分から自分へかける謎の圧力や、周りの視線を気にしすぎるということを強く感じます。
ダメージジーンズや少し前にスキニージーンズなどおヘソを出すトップスなど、着る人を選ぶようなデザインでもお洋服ならためらいなく試着室で飛び込んでいける人が多いのに、着物となると周りの目が気になってしまうというのは自分の心の中にも謎の思い込みや、謎ルールを設けている方が多いのかもしれません。
呉服屋さんで嫌な思いをした方は着物とは距離を置くことが多いようです。
ただ一度好きになって着物や和装関連をきっかけに枝葉が伸びていって 好奇心の塊になってしまうというのは、私にとってはとても良いことでした。
残念な事は和服がなかなかファストファッションとは行かない現実もあります。
相手に期待しすぎるのは良くないことだと分かっていますが、珍しいと思ってもジロジロ見てしまうとか、現代の言葉では「着物警察」と言われる方々がいることで足踏みしてしまう方も多いのが現実です。
せっかく上りかけている山から引きずり下ろすようなことは避けていただけると、お着物で外出することを怖がる方が減ると思っています。
私個人は着物と洋服の和洋折衷は好きではありません。
半衿や足袋は白です。
これは私が幼少期から見てきた祖母の着物姿の刷り込みが大きいので、現在55歳の私は今さら色、柄の半衿や足袋は使わなくても良いと思っています。
お着物への入り口が茶道や日本舞踊や仕舞いや謡などからでも着物を着る機会は訪れます。
避けて通れない道とも言えるかもしれません。
せっかくなら出来る範囲で「楽しみ尽くす」ことがいいのではないかなと 思っています。
「着物沼」はスキューバダイビングのブルーホールのように透き通って美しいと思っています。
私は現在も着物沼に片足を残したまま、絽ざし沼に頭からダイブしています。