2016年(平成28年)の今日は金曜日でした。
今年は木曜日。
とても寒い一日で、それは父の亡くなった日も同じでした。
- 美味しいものが好きだった父。
- 一度だけ手紙をくれた父。
- 特別なことは何もない一日になりました。
美味しいものが好きだった父。
父は美味しいものが好きでした。
高級品というのではなく旬を大切にしていましたし、朝ご飯は食べませんでしたが、お昼と晩御飯はおかずの品数が少ないのはあり得ないというのが普通でした。
他愛のないエピソードを二つ書きます。
私が結婚する直前ぐらいに実家にいた時期のことです。
父から「今日の晩御飯は?」と聞かれて、「冷蔵庫にある物で適当に」と答えたる日が三日ほど続きました。
言葉とは裏腹にしっかりとお料理をしていましたし、前日の残り物が晩御飯に父の前に出ることはあり得ませんでした。
それでも「冷蔵庫である物で適当に」という返事が三日続いたことがとても不愉快だったらしく、「あるもので・・・って何か他にはないのか?」と呆れたように言われました。
毎日違うものがテーブルに並ぶと分かっていても、冗談でも「適当に」は「テキトーに」に聞こえて、食事と父自身をないがしろにされたような気持ちになったのかもしれません。
それ以後は、冗談でも「ある物で」、「適当に」は言わなくなりました。
私もどうして三日続けて言ったのか自分でも覚えていません。軽口だったかもしれませんが、食事に重きを置く父には不愉快だったのだと思います。
もう一つは、夏の晩御飯に酢の物を作ったときでした。
「本当のキュウリもみが食べたい。」と言われました。
普段はきゅうりをスライスしてお塩でもんで水気を絞るだけだったので、きゅうりを粗塩を使ってまな板で板ずりのひと手間を掛けた「キュウリもみ」が食べたかったと言い出したので、次回から・・・と思っていながら結局作らずじまいとなりました。
「本当のきゅうりもみ」は作っていませんが、おはぎやずんだ餅や栗ご飯をお供えして納得してもらっています。
昭和の人なので、エスニック料理などは口にする機会がなかったと思います。
晩年は施設生活で食事制限もあったので、食べたいときに食べたい物を食べられていた時期が一番良かったのではないかと思っています。
美味しいものが好きと言うのは父方の兄弟は全員です。
残っている一番年下の叔父も美味しいものが大好きですが、もしかしたら生活習慣病を抱えているかもしれません。
父はカニアレルギーでした。
私は50才を越えてからエビ、カニにもアレルギーがでたので、年を取って体質が似ているのが表面化してきたのかもしれないと思っています。
一度だけ手紙をくれた父。
父から一度だけ手紙が届きました。
その手紙はもう父は文字が書けなくなっていたときで、施設の方が代筆してくださった手紙でした。
施設にいた頃は会いに行くことは少なくて、もっぱら手紙を送っていました。
我儘な父が施設の方にご迷惑をおかけしているのではないかと心配する気持ちもあり、なおかつ、直接会いに行くのは引っかかりがあって一度しか生きませんでした。
代筆してくださった方からのお手紙も同封されていて、「高齢者には大丈夫と言うことはないです。これからもお時間があればお手紙を書いてください。」と書かれていました。
父からの手紙には頻繁に会っていたら出てこなかった言葉が書いてありました。
時間と距離と自分の体調などを考えると、言葉にしておきたかったのではないかと思っています。
今も繰り返し読み返す大切な手紙です。
特別なことは何もない一日となりました。
今日もとても寒くて、私の体調も気持ちもどんよりしてしまいました。
果物をお供えして少し話しかけて一日が終わりそうです。
「春は別れの季節」とよく聞きますが、「秋も別れの季節」だと思うのはそこそこ、それなりに年を取ったと言うことなのかもしれません。
父方の親族はこの時期に多く亡くなっているので週一で誰かのご命日だった気がします。
これもGoogleカレンダーのおかげで忘れていても思い出せるので、「あっ、昨日だった!」と慌てることは無くなりました。