私の一番年上で、和装関連の相談に乗っていただいている方がいます。
六病息災といつも言っている方です。
- 退職
- セミリタイア
- 終活
退職
私が着物関連でお世話になったころは既にお勤めは定年退職されていました。
着物のプロ中のプロと言ってよい方だと思っています。
お仕事をされていたときのことをたまに話題にしてお話してくださいます。
着物文化が華やかな頃をご存知で、昭和の和装の人間国宝の方の展示会のお世話なども何度もされていたり、今では子供世代が受け継いでいる伝統工芸士の方とのお付き合いも広い方です。
私が出会ったのはその方が70代中盤ぐらいではないかと思います。
セミリタイア
出会ったころは「仕立て工房の相談役」、「着物のセレクトショップの相談役」、「伝統工芸に携わる仕事」の三足の草鞋がメインのお仕事でした。
それ以外にも古くからのお客様のご要望のお応えしていたり、私のような新参者にもとても親切に、丁寧に接してくださって今でもとても恐縮してしまいます。
私は自分の生活の変化なども時折お知らせしています。
時々お電話をいただいて、「寝てばかりじゃ、だめじゃないか。ちゃんと太陽を浴びなさい」とか、「病気に負けてはいけないんだよ。僕は六病息災だよ。」と仰ってくださいます。
50才をすぎて「だめじゃないか」と心配しながら怒ってくださることの優しさをかみしめることが多いです。
ご自身も体調が良いわけではないので、私の寿命を10年ぐらい分けて差し上げたいと本気で思っています。
それぐらいお元気でいてほしいと思っています。
終活
今でも流行っている言葉なのでしょうか?
「80才から終活を少しずつしている。」とおっしゃっていました。
それまでお仕事でお召しになっていたお着物なども皆さんに差し上げたり、使っている万年筆とボールペンの両方を使って手書きで年賀状を書いて、万年筆とボールペンのメンテナンスもされているとのことでした。
きっと、それ以外の身の回りの物も少しずつ整理されているのだろうなぁと勝手に想像しています。
「終活」という言葉が無くても、誰もが自分の衰えを感じるのだと思いますが、衰えに抗うのか、受け入れて身の回りを整理するのかは、その方の今までの生き方が出るのかしら?と思うことがあります。
寂しいです。
その方は4月8日。お釈迦様のお誕生日と一緒のお誕生日です。
80代後半で第二次世界大戦をわずかに記憶しているとおっしゃっていました。
私も半世紀生きているので、さまざまな形の別れを経験していますが「終活」は寂しい響きしかありません。
その方の今までを「無」という更地にしてしまうようなイメージです。
残るのは思い出、何気ない会話での笑い声など一瞬を切り取った場面になると思います。
いつもスマホを持ち歩いているのに、一枚もお写真を撮らせていただいたことがありません。
お写真を撮らせていただいておきたいような、そうしたくないような複雑な気持ちです。
来年の春にはすべてのお仕事から引退されるようなお話をされていました。
それも寂しさの原因の一つです。
仕事を手放しても忙しい日々が続くのかもしれませんが、お目にかかる回数は今までも少なかったですが、各段に少なくなる気がします。
寂しさはゆっくりと大きくなっていっています。
ゆっくり覚悟しなさいと言うことなのかもしれません。