言葉は知っていても「都都逸」も良くわからない分野で、キリスト教とユダヤ教も表層の一部も知らないことが分かりました。
26文字のラブレター
自分の気持ちが「わかりやすい」と思った一冊です。
タイトルの「26文字のラブレター」にひかれました。
有名な都都逸と解説とコラムが描かれています。
一つ二つはそらんじている都都逸がありましたが、口ずさみやすいのは短歌や俳句に似ています。
この本は「恋」をメインにしていますが、もともとが男女の恋愛を歌ったもののことをいうようです。
Amazonのレビューを読んだら、掲載されている都都逸がほぼ網羅されているかと思うくらい、レビューにかかれている都都逸がありました。
突き合わせをしていないので、本とレビューで同じ都都逸がどれくらいあるのか確認していませんが、レビューってこれでいいの?とちょっと疑問でした。
本の内容と全く違う都都逸が紹介されているといいなぁと思っています。
掲載されていませんが
「嫌なお方の親切よりも好いたお方の無理が良い」
と言うのもあるようです。
とても有名な「恋に焦がれて鳴く蝉」にも別の歌われ方があって「蝉」と言い切っていない都都逸がありました。
声にあらわれ なく虫よりも 言わで蛍の 身を焦がす
「蛍が身を焦がす」のはやはり「蛍」と言わなければつたわらないのも分かって面白いです。
この本をきっかけに「時代を問わず日本の短い詩」全般を読んでみたいなと思っています。
神は妄想である(宗教との決別)リチャード・ドーキンス
10年以上前の本です。
今頃読んでいるんですか?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
長年私は「無宗教」とか「無神論者」ではなく「多宗教の良いとこどりをしている」と自覚していました。
最終的になにを信じるかは、育ててもらった祖父母や父や叔父、叔母が遺してくれた言葉を忘れないでいるときはそれを生きる指針にしています。
私の親族にも一信教を信仰する家族がいます。
遠くから見ていると「それすらもお導きなの?」と思うことも多々ありますが、信じている人に「違うような気がする。」と言うのも失礼なことなので、黙ってみていることにしています。
大抵の場合、言っても話に耳を傾けてもらえないことの方が多い気がするので、わざわざ関係性を悪化させることもないだろうと思っています。
私が一番興味を持ったのは、まだ何も判断できない年ごろの子供に宗教教育をすることが果たして良いことなのだろうかという問題提起や、最終的にはその子供が判断できるまでは宗教で考え方を縛るようなことは良くないのではないかと結論付けていることです。
昨年「ドラマ聖書」をダウンロードして、「旧約聖書」から聞きましたが、何度聞いてもすんなりと腑に落ちないことが多いので、世界三大宗教の中でもキリスト教とユダヤ教は「一般教養」としてどこまで知っていればいいのかすらわからないまま過ごしてしまいそうです。
もちろん、仏教も身近であってもなかなか「分かっている」とは言えません。
ネットやテレビを見ることと読書の違いの短い解説を聞いて納得しました。
先日、動画を見ていて「ネットやテレビを見ることと読書をする違い」についてお話されていた方がいました。
それ以前に「知の巨人」と言われる立花隆さんがずいぶん前に「一つのことをある程度理解したかったら、本を1.5メートル分ぐらい読むと良い」と仰っていたことを覚えています。
動画では「読書」がネットが出現する前と今では違っていることをお話されていました。
ネットやテレビを二時間見るのは散歩と似ている。気分転換、リラックス、リフレッシュは出来ると思う。
それに対して読書は「わざわざジムに行って筋トレ」をするのに似ている。とおっしゃっていました。
筋トレでリフレッシュは出来るかもしれませんが、リラックスできるかと言うと違うような気がします。
脳や思考する力を鍛える「筋トレ(脳トレ?)」が読書ではないかと仰っていました。
ただ、100%読書の方が良いとも言えなくなっていて、Googleで本の中でわからない用語を調べるとか、起きている事象の流れをネットで把握するのはライフラインと言えるかもしれません。
特にテレビを持たない方が私を含めて多くなっているようなので、ネットで調べることや検索スキルが高いことは大切なようです。
検索スキルによって、検索できる内容が全く違うものになるというお話は説得力がありました。
私も読書もネットも楽しみつつ、検索スキルは上げたいと思いました。