- 花粉症
- もしかして金属アレルギー
- 消毒アルコールにも赤く反応し始めた頃に軽い喘息も始まりました。
- 53才にして食物アレルギーと共存生活
花粉症
私が10代の頃、まだ20世紀でした。
「アレルギー性鼻炎」と言われていた記憶があります。
まさか「杉」や「檜」の花粉で鼻水たらたら、涙ぽろぽろ、喉かゆかゆになるとはあまり考えられていませんでした。
20代中盤ぐらいまでは、周りを見渡しても「春の花粉の時期はとにかく我慢する。」という感じで、今のように眠くならないお薬も少なかったのか、発売されていないような記憶があります。
「これ以上我慢できません!!」と思ったのは、涙がじわじわ止まらないで過ごしていたら、目じりに塩らしきものが溜まり始めたり、ハンカチで押さえるだけでも目じりが切れて血が出てきたので、やせ我慢はやめました。
耳鼻科へ行っても点鼻薬、目薬をもらうだけで内服薬は処方された記憶がありません。
強く記憶しているのは、「アレグラ」、「アレロック」ともう一つがほぼ同時に処方されたり、薬局で買えるようになったような気がします。
アレロックは眠気が強すぎて仕事にならなかったのを覚えています。
アレグラはさほど眠くならず一日2回か3回飲んでいました。2020年大晦日に活動休止されて嵐の大野智さんのCMがとても好きでした。
私にはアレグラだけでは足りなくて、「エピナスチン」を夜に飲んでいました。
もしかして金属アレルギー?
ピアスホールを病院であけたのは二十歳を過ぎてからでした。
化膿することなくピアスホールはできましたが、花粉症が「一年中花粉症」になるころに気付いたことがありました。
私は眼鏡をかけています。当時はピンクゴールドのフレームが好きでしたが、顔の左側のフレームがわずかに当たるところが赤みを帯びてカサカサするようになってきました。
同じ時期にピアスのポストが「医療用ステンレス使用」というものでもかゆくなり、膿が出るようになりました。
金属アレルギーがついに来たかしら?と思いましたが、「わがままな耳たぶ」なのでK18やPt900ぐらいだとかぶれませんでした。
またしても20世紀のことですが、ブレスレットウォッチがはやった時期がありました。
一日付けていたら手首に赤くてかゆい輪っかができてしまいブレスレットウォッチは一度しか漬けられませんでした。
それ以来、メガネも樹脂フレームしか使っていません。
メガネ自体が買いやすくなっているので、修理するよりも買い換えてしまいます。
10年ぐらい前に掛かりつけのお医者様に金属アレルギーのパッチテストを受けたいので、病院を紹介してくださいとお願いしたことがりました。
「一つ出たら全部出ると思ったほうがいいから、お金の無駄!!」と言われて「危うきに近寄らず」と言うことにしています。
今ではK18、Pt900以上でもピアスホールを通してしまうとかゆみがあるので、ピアリングかフェザータッチイヤリングにしています。
消毒アルコールにも赤く反応し始めた頃に軽い喘息も始まりました。
時期ははっきりしませんが40代中盤からだと思います。
女性の体の変化と並行して体調も変化しています。
寝ようとして横になって体が温まってくると、呼吸が苦しいような気がしていました。自覚症状は会ったのですが「喘息」までは考えませんでした。
呼吸がままならないと睡眠に影響が出ます。眠い、だるい、気持ちもだるい・・・と負のスパイラルが続きました。
今は「アドエア」という気管拡張剤を使って、喘息が重くなる前に対処しています。
ひとりでいるには低空飛行でも日常を穏やかに保ちたいので、お薬の良し悪しのご意見はあると思いますが、私は今の生活を守りたいのでしばらくは使い続けるつもりです。
53才にして食物アレルギーと共存生活
2018年10月。
突然、おなかの左右に自分の掌サイズの湿疹が出てきました。痛くて痒い細かい湿疹と、とても質の悪い蚊に刺されたような大きな湿疹が首から下に出てきました。
肌トラブルはほとんどなかったので10日ほど様子を見ましたが、治る気配は全くなく皮膚科へ行きました。
炎症性の湿疹、全身乾燥肌、他にもお医者様から言われた気がしますが忘れてしまいました。
炎症性の湿疹はしばらくして消えましたが、全身乾燥肌は自覚がなかったのでとても驚きました。
その時初めて「ヒルドイドクリーム」を処方されて毎日首からつま先まで塗る日が続きました。
今でも処方されるのでお肌全体の水分、油分が足りないのだと思います。見た目にお肌が「こふき芋状態」にはなっていませんが、乾燥によるかゆみはあります。
食物アレルギー11品目とそれらを食べなくなった結果も改めて書きたいと思っています。